【DB】【DB超】あの世について
本作品では独特な世界観を持ったあの世となっているため、意外と直感的には理解できない点があるため、考察してみました。
※本記事では、アニメなどを含まず原作のみを対象としています。ドラゴンボール超の話は少しあります。
死ぬとどうなるか
ドラゴンボール世界では、死んだ者はあの世に行く。普通の人は死ぬと魂と肉体に分かれて、魂だけがあの世に行くようだ。
神様が特別扱いすると、死後肉体ごとあの世に行ける。その際、頭の上に輪っかが現れる。
魂と肉体
サイヤ人編で悟空が生き返ったときやブウ編でベジータが生き返ったときの描写によると、生死は肉体とは独立して存在する状態のようである。つまり生きていても死んでいても、肉体の状態は同じである(体力の消耗等。修行して鍛えることができるのだから当然かもしれないが)。魂に生きた状態と死んだ状態があり、死んだ魂の入った肉体には印として輪っかがつくということだろう。
地獄と天国
死ぬと、閻魔大王のところで天国行きと地獄行きに分けられる。閻魔大王が地球の死者だけを見ているのか宇宙全体を見ているのかは作中の描写からは不明だが、超全集によると宇宙全体の死者を見ているようだ。
すべての宇宙から、死者は同じ天国と地獄に行くのだろうか。作中では天国や地獄の描写はなく言葉のみである。「復活のF」でフリーザは「地球の地獄」「地獄もろとも地球を破壊する」と言っている。「復活のF」は鳥山明脚本なので原作と地続きの設定と考えると、閻魔大王のもとで天国や地獄行きとなった者はまた各惑星の天国や地獄に行かされるようだ。(地獄だけかもしれない。)ただ、蛇の道から落ちたときに行く地獄はどう考えたらいいだろう。
・その人の出身惑星の地獄に自動的に行く
・地獄の中に「地球の地獄」などのエリアがあって、そこに連れていかれる
・どの惑星とも違う地獄(蛇の道から落ちる特有の地獄)に行く
1番目が妥当かな。
また、ブウ編のピッコロのセリフでは「(ベジータが死ぬと)肉体は無となり魂も悟空とはちがう世界(地獄のこと?)に運ばれる」「魂は洗われ記憶もなくし新しい生命体に変えられる」とあるが、「復活のF」ではフリーザは(地獄で吊るされている姿は肉体ではなく魂が形になっているだけ?)記憶が残っている。ベジータの時と同様に、「もしものことを考えて」強い者は残しておくことにしているのかもしれない。
天国に行ったものがどうなるのかは、さらに不明である。悟空の話では「ふつうの人(=天国行きの人? それとも天国にも地獄にも行かない人がいる?)」は「魂だけになっちまう」とのことである。魂だけの状態で、天国では何をしているのだろうか? その直後に「過去の達人とか」と言っているので、その人たちは肉体を持っているはずである。おそらく過去に界王星(等)で修行することを許された人たち。悟空の祖父である孫悟飯も、そのひとりだろう。天国にも地獄にも行かない、洗う必要のない魂はそのまま生まれ変わりを待つのだろうか。天国に行った魂はずっと天国にいるのだろうか。(生まれ変わらない?)「魂」は増えたり減ったりするのだろうか。
地獄に行った魂は「洗われて」生まれ変わる。ということは、悪の魂はどんどん減っていくということだ。ドラゴンボール超でいう「平均人間レベル」をこうやって上げていこうとしているのだろうか。
占いババ
占いババの能力?権限?で、1日だけ死者がこの世に来ることができる。ベジータのときは閻魔大王が肉体を与えたとのことだが、フリーザのときもおそらくそうなのだろう。権限だとすると悟空が超サイヤ人3になることでエネルギーを消耗してこの世にいられる時間が減るのはおかしいので、やはり能力で、1日だけこの世にいられるパワーのようなものを占いババが与えているのではないだろうか。