子どもを産んで育てるということ
子どもは、過去においては自分の仕事を継がせるために産んで育てていた。
つまり家を存続するために必要だから産んでいたのだと思う。
・農家を手伝ってもらうため
・家督を継がせるため
・職人の技を途絶えさせないため 等々…
国という人間社会を成り立たせるためには人間が必要である。
そして家という一番小さな人間社会を成り立たせるためにも子どもが必要であり、
双方にとってメリットがあるから子どもは産まれ育てられることが続いていた。
現代日本においては、子どもの将来は自由にすべきという考え方が主流だ。
(少なくとも、建て前は。)
国を成り立たせるために人間が必要なのは変わっていない。
だが家を成り立たせるためには必ずしも子どもは必要ではない。
むしろ、育てても家のためにならない分、損になる。
子どもを産んで育てることが、家単位でメリットにならない。
いや、「家」という単位すらなくなっている個人社会。
人間の数を保つために、国を成り立たせるためには国が何か手を打たないといけない。
人間の数が減っても国が成り立つようにしなければならない。
もしかしたら、「家」と同様、「国」という単位すら手放す必要があるのかもしれない。
そんなことを考えました。
ちなみに私には妻も子どももいますが、子どもを産んで育てることを選択しました。
その理由を明示的に説明できる自信はありませんが、後悔はしていません。